• 1.社長の“新人時代”

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    社長の新人時代について教えてください。

    愛知大学を卒業後、金型に興味を持ち、最先端のNC加工機を扱わせていただけることを条件に、22歳で単身浜松へ向かい、社員50名足らずの会社に入社しました。

    ただ、入社してすぐは毎日がドリル研磨や鉄プレートの砥石掛け、ノコ盤作業ばかり。思い描いていた仕事とは違い、正直大変でしたね。

    それでも「25歳で班長、30歳で係長になる」という目標を掲げ、日々精進していました。

    朝の挨拶は欠かさず、どんな仕事も顔色ひとつ変えずに「はい!」と引き受け、常に笑顔を心がけていました。仕事は一区切りまでやりきってから帰る、清掃は当たり前に行う。そして週末の金曜日は定時で帰る、そんなメリハリを大切にしていました。

    唯一の楽しみは、毎週末に後輩たちと食事に行くこと。そこで一週間の疲れを癒し、また次の週も頑張ろうと思えました。

    そうした新人時代に、印象に残っているエピソードはありますか?

    当時の会社にはライダーが多く、私がすべてお膳立てをして、常務や工場長を引き連れ総勢7台で紀伊半島ツーリングに出かけました。1泊目は勝浦の海水浴場にテント泊。目の前にはお寿司屋があり、生まれて初めてカウンターで食べるお寿司を、当時の常務が気前よく全員に振る舞ってくださいました。

    2日目は南紀白浜を経由し、険しい山道を走り抜けて十津川温泉に宿泊。3日目は紀伊半島を北上して帰路につきました。とても思い出深いツーリングとなりましたね。

    会社のメンバーでそこまで本格的なツーリングに行かれたとは驚きです。

    そうでしょう。本当に大人数で出かけたんですよ。あの頃から途絶えることなく、44年経った今でもバイクを楽しんでいます。バイクは私にとって健康の秘訣でもあります。
  • 2.働く上で大切にしていること

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    新人時代から今まで、働く上で大切にしていることは何ですか?

    右も左も分からない新人の頃は、周りの皆さんが本当に親切に、手取り足取り指導してくださいました。とてもありがたかったです。

    しかし、3年も経つ頃には目標を持って頑張っていた自分にも実力と自信がついてきました。そんな時に、ある方から思いも寄らない一言を浴びせられたんです。
    「そんなの、何でもできるんだから、自分で全部やればいいじゃん!」

    当時は分業制でしたので、仕事を依頼した時の言葉でした。正直、酷くこたえましたね。

    努力してきたからこそ、そうした言葉もぶつけられたのかもしれませんね。

    そうかもしれません。でも、自分を信じて突き進んでいたら、その方はある時退職されました。

    その経験から私は、「自分は間違えていないと思ったならば、自身を信じて突き進め!仲間は必ずついてくる」と強く感じました。そしてこの思いを、今も働く上で大切な考えとして持ち続けています。
  • 3.ものづくりへの想い

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    ものづくりに惹かれたきっかけは何だったのですか?

    もともと父が鉄工場を経営していたことが、私の基盤にありました。私自身も二輪・四輪が好きで、「自分のオリジナルのカスタムパーツを作ることができたら、どんなに楽しいだろう」と思っていたんです。

    愛車はホンダでしたし、家業もホンダと関わりがありました。そうした縁もあって、ものづくりが盛んな浜松を選んだのは、ある意味で最初から敷かれていたレールのような気がします。

    バイク仲間も浜松で広がり、やがてツーリングクラブを発足するまでになりました。私にとって浜松は、まさに第二の故郷と言っても過言ではありません。

    これら一連の繋がりは、すべて「ものづくり」が取り持ってくれた縁だと感じています。

    この想いを、若い人たちにどう伝えていきたいですか?

    人と人との繋がりの大切さやありがたさ。その時々のお互いの気持ちの通い合いが、ものづくりには必ず存在します。

    単なる作業だと考えず、その製品を使う人の笑顔をほんの一瞬でも思い浮かべてみる。そうしてものづくりに取り組むと、後から自然と違った意味でのやりがいがついてきます。

    作業ではなく“人の笑顔”を思い浮かべる、素敵な視点ですね。

    ありがとうございます。そして、後々ふと振り返った時に「やってきてよかった」と思え、決して後悔することはありません。だからこそ、私は自分の実体験をもとに、若い人たちへその思いを語り伝えていきたいと思っています。
  • 4.今後の展望

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    社長の目指す会社像について教えてください。

    私が絶対に大切にしたいのは、社員が快適に、そしてやりがいを持って働き続けられる会社であることです。

    社員一人ひとりが自ら考え、築き上げていけるような会社の在り方を根底に置き、時代に流されるのではなく、時流・自流に沿った会社経営を常に考えています。

    常に最先端である必要はありませんが、かといって時代に取り残されることもない。ちょうど良いバランスを保てる会社でありたいと思っています。

    これからさらにロボット化・自動化・省人化が進んでいくでしょう。その部分は若い世代に担ってもらい、坂神工業に合った最適な環境・設備を整えることで、より効率の良い会社をつくっていきたいと考えています。
  • 5.社員の存在

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    社長にとって、社員はどんな存在ですか?

    月並みな言い方かもしれませんが、社員は全員が家族のような存在です。そして、その一人ひとりが主役でもあります。

    坂神工業を安全に、きれいに、上手に、そして効率良くまわしていくためには、誰一人欠けても成り立ちません。仕事の内容に優劣はなく、すべてが大切な役割です。

    社員一人ひとりが仕事に自信と誇りを持ち、いきいきと毎日の業務に取り組んでくれていることが本当にありがたいです。

    お話からも社員の方への温かい想いが伝わってきます。 社員の皆さんは、どんな方々ですか?

    うちの社員は、気配りと思いやりを持った、心の優しい人たちの集まりだと胸を張って言えます。
  • 6.代表メッセージ

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    最後に、坂神工業に興味を持っている方へ、メッセージをお願いします。

    まずは一歩、踏み込んでみてください。坂神工業に!楽しい会社ですよ。

    仕事について心配はいりません。先輩方が懇切丁寧に教えてくれますので大丈夫です。

    これからはさらに福利厚生を充実させ、会社にいる時間をもっと快適に過ごせるよう、社員みんなで環境を変えていきます。

    この不安定で心配事の多い世の中だからこそ、坂神工業の一員となり、みんなで協力し合い、助け合って、楽しく豊かな人生を送りましょう。

    社員一同、あなたの来社を心よりお待ちしています。

社長の歩み〜今までとこれから〜

豊橋生まれ、機械油の香りと
ともに育った
“ものづくりの申し子”。
遊び心と情熱で業界を駆け抜け、
坂神工業の舵を取る。

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1961

豊橋市生まれ。
永田製作所の末っ子次男として誕生。

幼少期から工場に出入り、機械油のにおいにも慣れ親しむ。

「みんなと同じが嫌」と学生時代から個性を発揮

  • 小学生時代/
    本革ランドセル
  • 高校生時代/
    アコーディオンカバン・
    ロードスポーツタイプの自転車
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1979

自動車免許を取得。自動車にのめり込む。

MY CAR 
ホンダ シビック
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1980

愛知大学 夜間部入学と同時に、武蔵精密に入社。

“走り”の趣味に熱中
SUZUKA 8耐観戦
ホンダ VT250バイク・ホンダ S800を購入
  • 社会人としての第一歩、技術者としての修行時代
1984

浜松の杉田工業に入社し、金型技術を学び、NC加工機のスキルを身につける。

念願のSUZUKI カタナ1100を購入
バイククラブ結成
情熱が”人を巻き込む力”に発展
1988

結婚

1991

坂神工業に入社。
入社〜3年目:金型(造型)
4年目〜14年目:生産準備課
16年目〜22年目:常務

  • 坂神工業との出会いと成長
当時は生産準備課という部署が存在しておらず社長と一緒に現場をゼロから作り上げていった。
設計から加工、納期管理まで生産準備の全てを担い徐々に体制を整備。
常務に就任後は現場全体の統括役として、人材の育成や設備投資、部署間の連携強化に尽力。
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2012

退職後、知り合いの金型屋で勤務。

鈴鹿サーキットまで徒歩10分の場所で勤務
三重県用で ヤマハ SRX-600を購入
2013

豊橋市の神野新田にN.K worksを起業。2ヶ月で開業にこぎつける。

2018

知り合いの会社さんと、豊明市で操業。

カーボン樹脂にも興味を持つ。
企業家としての視点で顧客やパートナーとの信頼関係を築く。
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2022

培った人脈と経験を持って坂神工業へ復帰。

  • 再び坂神工業へそして未来へ
量産物受注、突発修理の協力、金型受注のみ取引を開始。
新規取引先の開拓や技術伝承、若手育成に尽力。
2025

これまでの経験と知見を活かし、次世代の坂神工業を牽引中。

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